ながらく更新が滞っていたのは、練習記ということで記事更新においては録音を公開しようということを念頭に置いていたのですが、現物を確認して公開するかを決めかねていたからです。下手なら下手なりに記録としてあげればよい、そういうことではあります。下手なところをみせたくないという気持ちは、私も人間ですから少なからずありますが、それよりも収録した音源のあまりのむごたらしさに閉口して即座に消してしまうのが最大の理由であります。記録以前の問題ではあるまいか、そういうわけであります。
しかしながら、練習自体は暇を見つけては行っています。簡単なところからつぶしていくという、搦め手ではありますが、まぁ、正攻法でかなう相手ではありません。簡単なところを探すために、一通り触っています。やはり難易度の幅は広く、個別に集中して指の精度を上げる必要を迫られるような個所もあれば、覚えてしまえば何とかなる部分もいくつかあります。ただ、各部分をまたいで共通して言えることは、無駄な音が極めて少ないということです。古今東西の傑作に無駄がないという賛辞が贈られることはままありますが、それが指す「無駄が無い」という意味とは少し違い、要するに、すべての音が何かしらの演出的な役割を担っているということです。そのために、ホロヴィッツは音を増やしたり削ったりしているように見えるのです。特に削っている方は、私にとって大胆に見え
るものが多く、事故率を演奏効果を調整を図る紀大の演奏実務家ホロヴィッツの思考を課見ているようで興味深く思います。描き分けられない音はそもそも消しても問題ない、一方で実際に鳴る音については指による描き分けの極限を目指す、そういうことでしょう。
夏井氏だったと記憶していますが、ハンガリー狂詩曲第十五番の楽譜を眺めながら、ホロヴィッツは、この耳で書きとめられた音符以上のことをやっているように感じるという意味のことを書いていました。これは比喩でも誇張でもないと私には思います。
→第三回へ(録音あり)
ホロヴィッツ(ウラディミール)
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