新しい練習曲
前回、「新しい練習曲」のはっきりしない番号の振り方について書いたが、Wikipediaに、ショパンの「新しい練習曲」の成立にまつわる話が載っていた。それによれば、この3曲は、当時の音楽教師か学者某のピアノ奏法の手引書に載せる付録の練習曲として依頼され、それを受けたショパンが提供したものだそうである。作品番号がないのは、作品として発表されたものではないのが理由。もしかしたら、出版当時は作曲者の名前も出ていなかったのかもしれない。また、全集ごとに整理番号が異なるのは、依頼もとの著作の乱丁によるとのことである。
覚えることは覚えたが、怪しいところは沢山ある。
和音の中でも、親指が不参加のものや、親指が参加しても鍵盤にうまいこと力が伝わらないものがある。当然、単音(指一本)では問題なく音を出すことができるが、指が複数同時に仕事をすると、単音で考えられないほど入れることの力の加減が不自由である、どうしてだろう。
手首あたりで指に力を伝える腱がまとまっているという話だから、指にまつわる筋肉は一つで、それが5本指まとめて担当しているということであれば、単純な割り算で一本当たりの力は減ってしまう、ということだろうか。そうであれば単純な話で、筋力不足が原因だが……。
ラヴェルの鐘の谷
こう暑くなって来ると、延々と終わりの見えないような楽曲を弾きたくなる。アルベニスのイベリアのいくつか、ブラームスの間奏曲など。ただし、弾きたくなると、弾けるようになるとは別のことで、毎年中途半端になって秋を迎え、興味も秋らしい楽曲に移って行き、いつまでたっても仕上がらない。
今年は、ラヴェルの鐘の谷を取り上げている。ペルルミュテール版を本棚の飾りにしておくのはもったいないし、Tres lentと要求される速度が速いものではないので、軽い気持ちで手を出したが、他の繊細と軽妙だけで出来上がっていそうなラヴェルの楽曲と同様に、簡単には弾かせてもらえないようである。延々と続く右手の伴奏は、複雑な形をしているが、指だけ見れば三度のトリルをppで弾くのとほとんど同じである。トリルほどの速度は求められないが。
譜例①は、三声進行というやつでしょうか。休符が絡んで、慣れていないと音の長さをとることが難しい。数えた方が分かりが速い。ここは、1小節あたり4分音符4つで構成されており、8分音符を含むため、8分音符を最小単位として数えればいい。ポイントは、5拍目から最後の拍までそれぞれ音があること。だが、ペダルはどうしたらよいのだろうか?